日本における本格的なウメの栽培は、明治中期ごろから始まったと推測されています。大正中期には、小ウメが植栽され始め、昭和初期にはウメの植栽が格段に増加しました。その後、昭和30年代から栽培技術の向上とともに品質も優れるようになり、全国でウメ栽培が本格化していきました。 そんなウメ栽培は、1962年の酒税法の改正によって家庭で手軽に梅酒を作れるようになったことで、青ウメの需要が多くなり、一気に中ウメ以上の大きさの植栽が増えていきました。このころはウメの青果の販売価格もよく、「青いダイヤ」と呼ばれていたほどです。また、ウメはほかの果樹に比べて容易に栽培できることもあり、蚕業の衰退が急激に進んだ際にクワ園からウメ園への転換が行われ、それに水田転作も相まって栽培面積が増加していきました。 平成に入ると、ウメの青果の価格は台湾や中国からの安い加工品の輸入が増加したことから、徐々に安くなり始めました。そのため、現在ではウメ園を放棄する農家が増加し、栽培面積や出荷量が減少し始めています。